
年金の「繰り下げ受給」は、1か月遅らせるごとに受け取れる金額が増える制度です。
「では、70歳や75歳まで延ばすとどれくらいお得になるのか?」「損することはないのか?」──そんな疑問を持つ方が増えています。
結論から言うと、「得か損か」は一概に決められません。
健康状態、家計の余裕、夫婦の受給バランス、そして“長生きリスク”への備え方によって、最適な受け取り年齢は人それぞれ異なります。
本記事では、FPとして実際に相談を受けてきた経験をもとに、年金の繰り下げ受給を「制度・金額・実例」の3つの視点から徹底解説します。
この記事を読めば、「自分は何歳から受け取るのが一番安心か」が、数字と生活の両面から判断できるようになるはずです。
目次
公的年金(老齢基礎年金・老齢厚生年金)は、原則として65歳から受け取りが始まりますが、希望すれば66歳以降、最長75歳まで受給を繰り下げることができます。
この制度を利用すると、開始を遅らせた月数に応じて受給額が増え、生涯にわたってその増額分が上乗せされます。
以前は70歳が上限でしたが、2022年の年金制度改正により75歳までの繰り下げが可能になりました。
「長寿化が進む時代に合わせて、老後後半の生活資金を安定させる選択肢を増やす」というのが制度の趣旨です。
繰り下げによる増額率は、1か月あたり0.7%。
つまり、1年(12か月)繰り下げると8.4%増え、5年(60か月)では最大で42%増となります。
たとえば65歳から受け取る予定の年金が月10万円の人が70歳まで繰り下げた場合、受け取り額は約14万2,000円に増える計算です。
✅ 計算式例
10万円 ×(1+0.007×60か月)=14万2,000円
一度繰り下げを選ぶと、その後ずっと増額された金額で支給され続けるため、**「長生きすればするほど有利」**という仕組みです。
繰り下げ受給を選ぶには、自動ではなく本人の申請が必要です。
原則として65歳到達時に「繰り下げ希望なし」としておくと自動受給になってしまうため、遅らせたい場合は「年金請求書」の提出を保留にしておく必要があります。
また、年金を受け取る前に一部でも請求してしまうと、その分は繰り下げ対象外になることもあるため、計画的な判断が重要です。
FPとしての現場感覚では、「受給を遅らせる=もらえない期間が長くなる」というリスクを理解したうえで、生活資金に余裕のある方が選ぶケースが多い印象です。
以下は、老齢基礎年金を例にした年齢別の増額率の目安です。
(出典:厚生労働省「令和5年年金制度改正概要」)
| 受給開始年齢 | 増額率 | 備考 |
|---|---|---|
| 65歳 | 0%(基準) | 通常の受給開始 |
| 66歳 | +8.4% | 1年遅らせた場合 |
| 70歳 | +42% | 5年遅らせた場合 |
| 75歳 | +84% | 10年遅らせた場合(上限) |
つまり、65歳で月10万円だった年金は、75歳から受け取れば約18万4,000円に増えます。
これは一見お得に感じますが、「受け取りが10年遅れる」点が最大のポイントです。
💡年金だけで生活設計を考えるのはリスクも。
「年金+資産運用で“毎月いくら使えるか”を見える化する方法」では、年金と資産運用を組み合わせた実践的な家計設計を紹介しています。
では、実際にどのくらい生きれば「繰り下げが得」になるのでしょうか?
FPの試算では、おおよそ81〜83歳前後が損益分岐点です。
たとえば65歳から月10万円を受け取るケースと、70歳から月14万2,000円を受け取るケースを比較すると、
「70歳以降で追いつくのは81歳ごろ」になります。
つまり、81歳より長生きすれば繰り下げが有利、短命なら損、という構造です。
厚生労働省の最新データによると、平均寿命は男性81歳、女性87歳。
単純に平均値で見ると、男性は損益分岐点ギリギリ、女性は繰り下げが有利という結果になります。
ただし、これは平均値であり、実際のライフプラン・健康状態・家族構成によって結果は変わります。
FPの現場では、「単身男性は早めの受給」「夫婦世帯や長寿家系は繰り下げ」という傾向が見られます。
繰り下げ受給の最大の魅力は、長生きすればするほど受取総額が増える点です。
70歳・75歳からの受給にすれば、増額分が一生続きます。
平均寿命を超えて生きるケースが増えている現代において、「年金を長く、安定して受け取れる仕組み」は極めて大きな安心要素です。
老後後半(80代以降)は医療・介護などの支出が増えやすくなります。
その時期に毎月の年金額が多いということは、「貯蓄を切り崩さずに済む」という心理的安定にもつながります。
人生の後半戦で重要なのは「収入の安定性」です。
退職金や貯蓄は減っていく一方、年金は生涯続く終身収入。
繰り下げによって月額を増やすことで、後半の医療・介護費、住まいの修繕費などに備えることができます。
特に「子ども世代に迷惑をかけたくない」「自分の力で最期まで生活したい」という方にとって、繰り下げは“安心を買う”選択肢でもあります。
FP相談でよく聞くのが「65歳からもらわないと損をする気がする」という声です。
しかし、実際に70歳から受給を始めたお客様の中には、**「受け取る金額が増えたおかげで精神的に安心できた」**という方も多くいます。
老後の資金設計は「不安をなくすこと」がゴール。
繰り下げ受給は“老後後半の安心感”を優先した選択として、十分に合理的です。
繰り下げの最大の注意点は、受給までの空白期間です。
5年繰り下げるということは、その間の生活費を自分の貯蓄や投資収益で賄う必要があります。
「増える金額」だけに注目し、生活資金を圧迫してしまうと本末転倒です。
FPの立場から言うと、「繰り下げに回す余裕があるか」を家計シミュレーションで確認するのが必須です。
損益分岐点を超える前に亡くなってしまうと、受け取り総額ではマイナスになります。
健康面に不安がある方、単身で支出が高い方は、65歳〜68歳の早め受給を選ぶ方が安心です。
また、配偶者や遺族年金の有無も影響します。
「夫婦どちらが先に亡くなるか」「遺族年金を受け取れるか」で損益の構造が変わるため、世帯単位で判断することが大切です。
繰り下げで年金額が増えると、その分課税所得や国民健康保険料も上がることがあります。
特に退職後に一定の資産運用収益がある方は、「年金+投資収入」で課税ラインを超えやすくなる点に注意。
FPとしては、繰り下げ前後の所得シミュレーションを行い、「可処分所得ベース」で判断するのをおすすめしています。
🧮繰り下げ後に増える年金額は、健康保険料や介護保険料にも影響します。
詳しくは「健康保険料・介護保険料への影響を考慮した運用戦略」で、所得とのバランスを確認しておきましょう。
年金以外の収入(企業年金・配当金・不動産収入など)がある人は、生活資金に余裕があるため、繰り下げとの相性が良いです。
また、健康寿命が長く、平均寿命を超える可能性が高い人ほど、繰り下げの恩恵を受けやすいです。
💬 実例:70歳から繰り下げ受給を選んだ男性(68歳・元公務員)
退職金と企業年金で生活が成り立っており、「75歳以降の医療費負担を考えると安心したい」との理由で繰り下げを選択。
結果として、毎月の受給額は約1.4倍に。80歳を超えた今も、「遅らせて正解だった」と話されています。
一方で、退職直後から生活費が不足する人や、健康状態に不安がある人は、繰り下げの恩恵を受けにくい傾向にあります。
💬 実例:65歳で受給開始を選んだ女性(65歳・パート主婦)
ご主人が早期退職し、家計の貯蓄を取り崩して生活。
FP相談の結果、「貯蓄を減らしてまで繰り下げる必要はない」と判断し、65歳から受給開始。
「少なくても毎月の安定収入がある方が安心だった」との感想でした。
年金の繰り下げは、“数字の勝ち負け”ではなく“人生戦略の選択”です。
FPの立場から見ても、「金額よりも安心」「老後の自由度をどう確保するか」という観点で決める方が、結果的に満足度が高いケースが多いです。
👣繰り下げを含めた“老後資金の全体設計”を考えるなら、
「定年後のお金の不安をなくす『セカンドキャリア設計術』」もぜひ参考にしてください。
年金・退職金・働き方を一体で考える視点が身につきます。
退職金や企業年金がある人は、65〜70歳の間に一定の生活資金が確保できるため、繰り下げ受給と相性が良いです。
特に再雇用で働く場合やパート勤務を継続する場合は、「働いているうちは繰り下げて、退職後に受給開始する」ことで、老後の後半に収入をシフトできます。
💡 FPのポイント
年金+企業年金+退職金のバランスを「65〜75歳のキャッシュフロー表」で可視化しましょう。
税・社会保険料を加味して“手取りベース”で比較すると、最適な受給開始時期が見えやすくなります。
自営業やフリーランスの方は、老齢基礎年金のみで受給額が少ない傾向にあります。
そのため、iDeCoや小規模企業共済との組み合わせが重要です。
繰り下げ受給によって基礎年金を増やしつつ、60〜70歳の間はiDeCoや共済金を取り崩して生活費を補う戦略が有効です。
この“ブリッジ期間”をどう設計するかで、老後の資金寿命が大きく変わります。
💬 FPの現場実感
自営業の方ほど、早期に受け取る「金額」よりも、「いつまで安定した収入が続くか」を重視する傾向があります。
65〜70歳を“自分年金の完成期間”と考えるのが理想的です。
夫婦どちらかが65歳から受け取り、もう一方を70歳まで繰り下げる、というように**“夫婦の分散受給”**を選ぶケースもあります。
こうすると、早期に生活費を確保しつつ、後半に年金額を底上げできるため、家計全体での安定性が高まります。
特に専業主婦(夫)世帯では、遺族年金や加給年金の有無も判断材料となります。
FP相談では、「夫婦合算での老後収入シミュレーション」を作成し、2人の寿命差も考慮した最適化を提案しています。
✅ チェックリスト
🧠 FPワンポイントアドバイス
年金の繰り下げは「節約」ではなく「戦略」。
5つの項目を“家計と健康の両面”でチェックし、数字だけでなく安心感の総合判断を行いましょう。
「年金をいつから受け取るか」は、単なるお金の問題ではありません。
それは“これからの人生をどう過ごしたいか”というライフプランの選択です。
もし、「少しでも長く安心して暮らしたい」と感じるなら、繰り下げは有効な戦略です。
逆に、「早めに自由に使いたい」「体力のあるうちに楽しみたい」なら、65歳受給も立派な選択。
大切なのは、数字と気持ちの両方で納得できる判断をすること。
そのために、FPと一緒に家計全体を見直し、具体的なシミュレーションを行うのが最も確実な方法です。
| 観点 | ポイント |
|---|---|
| 得になる人 | 長生き家系・生活に余裕・他収入あり |
| 損になる人 | 健康不安・生活資金が不足 |
| 最適戦略 | ライフプランと家計の両立で決める |
| 判断基準 | 「安心して生きる期間」を長くすること |
Q1. 繰り下げ受給を途中でやめて65歳に戻すことはできますか?
A. 受給開始を決定した後は原則変更できませんが、65歳以降の待機期間中であれば、申請した時点で受給を開始できます。つまり「やっぱり今から受け取りたい」と思った時点で手続きすれば、その月から支給が始まります。
Q2. 夫婦で繰り下げをすると本当に有利ですか?
A. 夫婦の一方が繰り下げを行うことで、世帯全体の年金額を後半に底上げする効果があります。特に、どちらか一方が長生きしそうな場合には有利です。ただし、遺族年金や加給年金との関係もあるため、個別シミュレーションが重要です。
Q3. 繰り下げ受給と繰り上げ受給はどちらが得ですか?
A. 長生きするほど繰り下げが有利、平均寿命前に亡くなる場合は繰り上げが有利です。一般的な損益分岐点は80〜82歳前後とされていますが、健康状態や家計状況によって最適解は異なります。
Q4. 75歳まで繰り下げる人は実際に多いのでしょうか?
A. 実際には、70歳受給を選ぶ人が最も多く、75歳繰り下げはまだ少数派です。生活費や健康面の不安から、完全な10年繰り下げにはハードルがあるのが現状です。
Q5. 繰り下げをすると「加給年金」や「振替加算」はどうなりますか?
A. 老齢厚生年金の加給年金は、本人の年金を受け取り始めた時点で支給が始まります。そのため、繰り下げを行うと加給年金の支給も遅れます。
また、配偶者の振替加算は、加給年金の受給権が発生した時点で確定するため、こちらも遅れる可能性があります。
つまり、繰り下げによって「本人の増額はあるが、配偶者の加算は遅れる」点に注意が必要です。
Q6. 年金を繰り下げると確定申告が必要になりますか?
A. 年金額が増えることで、所得税や住民税の課税対象になるケースがあります。特に、他に運用益や不動産収入がある方は、課税ラインを超える可能性があります。
繰り下げ後の年金を受け取り始めた年は、源泉徴収票を確認し、確定申告の要否をチェックするのがおすすめです。
Q7. 繰り下げた年金を受け取る前に亡くなった場合、未支給分はどうなりますか?
A. 受給開始前に亡くなった場合、まだ請求していない年金は支給されません。ただし、すでに請求手続き中だった場合は「未支給年金」として遺族(配偶者・子など)に支給されることがあります。
そのため、健康状態が悪化している場合は、繰り下げよりも早期受給を検討するのが無難です。
Q8. 老齢基礎年金と老齢厚生年金を別々のタイミングで繰り下げられますか?
A. はい、可能です。
老齢基礎年金(国民年金)と老齢厚生年金(会社員時代の年金)は、それぞれ別に繰り下げることができます。
たとえば、老齢厚生年金だけを70歳から、老齢基礎年金は65歳から受け取るといった組み合わせも可能です。生活資金や税負担のバランスを見て選びましょう。
Q9. 繰り下げを選んだ後、健康状態が悪化したらどうすればいいですか?
A. まだ受給を開始していない場合は、申請すればその時点で受け取りを始めることができます(繰り下げの途中解除)。
ただし、いったん受給開始を決めてしまうと後から変更はできないため、判断時期の見極めが重要です。
FP相談などで「今の生活資金と健康リスクのバランス」を確認しておくと安心です。
Q10. 生活保護や高齢者給付金に影響はありますか?
A. 年金を繰り下げている期間中は収入が減るため、一時的に生活保護や臨時給付金の対象になる場合があります。
逆に、繰り下げ後に年金額が増えると、給付金や医療費助成の所得判定に影響することがあります。自治体ごとに基準が異なるため、事前に確認しておくと安心です。
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ファイナンシャルプランナー塩川
・CFP(FP上級資格)・証券外務員1種・宅地建物取引士・NPO法人相続アドバイザー協議会 認定会員・不動産後見アドバイザー(全国住宅産業協会認定)・高齢者住まいアドバイザー(職業技能振興会認定) (独立系FP会社株式会社住まいと保険と資産管理 所属)」https://www.mylifenavi.net/
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